『ソードアート・オンライン』まさに渡り鳥!傑作人気SFは昭和のドラマ仕立て。しかし…!
「渡り鳥!? また旅!? 懐かしいな⋯あ、なんだ、テレビ漫画かぁ(拒否反応)」なんて、まさか今時の映画ファンで、そんなもったいなくもつまらない偏見のある人はいませんよね?
たしかにキャラクターデザインは“アニメっぽい”可愛いもの。
アニメが馴染めない、好きになれない人は実はここがネックなんだと思うんですが、一度でも面白い作品をご覧になれば、見る目のある方ならその尋常ならざる豊かな表現力と、ハリウッドでさえもしょっちゅう拝借しに来る斬新なアイデアの宝庫である事に刮目されるでしょう。
そしてなにより、いまの深夜帯アニメには、コレデモカとばかり見逃すと後悔するほどの“面白い作品”が目白押しなのです。
『ソードアート・オンライン(略してSAO)』はこの夏放映中の、インターネット・オンラインゲームをモチーフにしたSF作品ですが、これを書いている五話までの現時点で、間違いなく群を抜いた傑作だと言えます。
その理由の一つが、主人公の立ち位置と物語の構成。
主人公キリトはネットゲームに詳しい普通の少年でしたが、最先端技術を使って無数の人が仮想空間に設けられた広大な世界に集い、魔物と戦ったりして遊ぶ最新のソフト『SAO』の一般公開初日にトラブルが起こります。
意図は不明ですが、ゲームの開発者が一種のサイバーテロを行ったんですね。
ただし、これはウイルスなどによる電子機器を目標にしたものではなく、ゲーム上に居るプレイヤーが、ゲーム内で敵などにやられて“死”である“ゲームオーバー”を迎えると、装置で繋がっている現実世界の肉体も同時に本当に死んでしまうという、プレイヤー自身の生命を脅かすというもの。
他愛のない遊び場から極限のサバイバル空間に変貌した世界から脱出するには、誰かがゲームをクリアしなければならない。しかしそれは、自分たちの生命を賭けた真剣勝負の果てしない闘いの地獄を意味した。
しかも、現実に残されている肉体はいわゆる昏睡状態であり、このままゲーム内に居続けることも衰弱死しかねない。
しかし、剣と魔法が存在する架空の世界とはいえ、もともとが社会生活をリアルに摸したゲーム内。居続けるうちに奇妙な“慣れ”も生じてきて、やがてゲーム世界に居場所を見つけてしまう者さえも増えてゆくのだった───
ね?ハリウッドでもこれだけのダイナミックなコンセプトを持ったSF作品は昨今少なくなって、なかなか登場してませんでしょ。
『アバター』ももっと単純ですからね。
(しかし日本のコミック・アニメならこの程度のコンセプトはゴロゴロしています。)
しかも『SAO』は基本的に一話一完結なので、上記の設定を呑み込んでおけば、勘のいいあなたならすぐお話に入れる筈です。
でも実は、昨今のSF系アニメでこの手法は珍しいんですよ。
基本的に主人公の目的やテーマに沿って“次回に続く”連続活劇の体をとるのがほとんどになっているので、『SAO』の一話一完結方式は盲点的な斬新さがあるのです。もちろん、これには理由がある。
なぜなら『SAO』、記事タイトルに挙げたように『渡り鳥』『股旅もの』だからなんですよ、筋立てが。
一〜三話までは世界観と主人公の方向性を見せる『起』とすれば、四話からは『承』でまさに渡り鳥もののスタイルで展開させましたね。
ネタバレになりますが、あえて四話の筋立てを申しましょう。
なに、筋が知れたからと言って、面白さが半減するわけではありません。あえてこの回、内容が見え見えになる作りになってるんですよ。
そこらへんも小林旭の『渡り鳥』や木枯し紋次郎などの『また旅』ものそのままでしょ?
主人公キリトは、怪物が出るとある森で龍使いの少女を助けますが、その時に少女が怪物に挑んだ無謀な戦いの中で受けた傷がもとで、小さな龍は死んでしまいます。
後悔から自分を責める少女にキリトは、ある場所までたどり着ければ龍を生き返らせる方法がある、と告げ、その場所に用事があるからそこまで自分がエスコートしようと申し出ます。
小さな戦闘を繰り返しながら(一応ゲーム世界ですから)目的地へ近づくうちに、いつしか少女はキリトに恋心を抱く。
やがてたどり着いた目的地では、ふたりが得るものを横取りしようとつけて来た悪党が待ち伏せしていますが、いまやウワサの腕利き剣士となっているキリトの敵ではなく、まんまと返り討ちに。
実はキリトの用事とは、その悪党を捕まえることだったんですが。
無事、少女の龍は蘇り、その時限りのパーティ(ゲーム内で行動を共にする暫定的な仲間のこと)は解散。その後また旅に出るものの、強いけど女心にニブチンなキリトは少女の恋など気づきもせず、彼女はそっとその恋を胸に秘めてお話はエンディングへ。
───ね?昔の渡り鳥ものの中のエピソード、そのまんまでしょう?
この回の視点は少女のものでしたが、毎回うまい具合に異なった視点からお話を描くことで、複雑な世界観もすんなり頭に入ってゆくという芸の細かさをもった作品です。
しかし、いつもがいつもこんなミエミエにはなってないところが私が惚れ込んだ理由です。
私はなによりもパターンに寄りかかってマンネリ化したお話を嫌いますので。
実はこの第四話、パターンものの体裁ではあるんですが、ちゃんと全体構成としての大きな役割をもった回でもあるのです。
それは、最初物語のあらすじをご紹介した時の『架空世界なのに慣れと共にゲーム世界に居場所を見つけてしまう』という所。
ゲームを終わらせて現実に戻ろうと画策する“攻略組”と呼ばれるキリトたちのような猛者、そして戦いが不得手なため、商売をするなどして庶民として生きている人々、さらにゲームの中で徒党を組んで犯罪を犯すもの、それに対する自警団のような存在……
もう、立派な社会です。ですが、架空であってもそこに根を生やしてしまうと言うことは、すなわち現実に戻ることを嫌がる立場の人も出てくる可能性を示唆しているわけです。
しかも、現実世界での年号が毎回チラッと出てくるのですが、よくよく前後を見ていくと、驚くばかりの月日が経っていることに気付くのです。
ここらがしっかりSFであり、現実に即した恐ろしい事実が背後に見え隠れしてるという深さがあるのです。
映画好きのクセに、こういう“萌え絵”にだまされて、食わず嫌いしてると大損しますよ。
ほら。経験ありませんか。好きでない俳優だから、監督だからと見ずに放置してた作品が、自分が一目置く映画ブロガーたちによって高い評価を得て自分だけが取り残された、あの悔しくて気持ち悪い体験。
いま日本だけでなく、世界中が日本のテレビアニメに注目してるのはダテや酔狂ではないのです。見る目のある人だけが、本当に面白い作品を愉しんでいるのです。それも、テレビですから“タダ”で。
え?「私は面白い作品ならちゃんとお金払う準備があります」?ならばどうぞ。
さあ、今からでも遅くありません。
あなたも『SAO』の世界へいらっしゃい。あ、でも大丈夫。あなたはちゃんと現実世界へ還れますからね。
あ、そうそう。
本家ブログ【ブツクサ徒然ぐさ】では、すでに二度にわたってソードアート・オンラインを紹介しています。
一話一完結方式が実は昨今のテレビアニメでは新鮮という『もしかして“流れ者”って死語ですか』と、ガンダムやエヴァンゲリオンの主人公にはない独特の“影”を持った主人公の理由を分析した『SAOが重く感じるワケ』。
よろしければそれぞれお読みください。
例によってクドイですが、ネタバレなしに暑く熱く語っておりますのでね。
では、また、お逢いしましょうね。
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