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2010年8月17日 (火)

『銀河鉄道999 GalaxyExpress999』時にはふり返る事も必要。

Galaxyexpress999_1
 はい、もぉどなたもが、よくご存じの作品です。今さら…なのかもしれませんが、色々考えさせてていただいたので、お礼の気持ちも込めてまとめてみました。
 いえね、このお話の中ではさんざん「後ろをふり返るな」みたいな事をゆーてはるんですけどね。十何年、いや、もしかしたらちゃんと見直したのは公開以来ではないかしら。
 その公開年、なんと1979年。
 
 今年(2010年)夏、大々的にNHK-BS2で特集が組まれたのを機に、若い方もかなり多くご覧になったようです。いえ、私もリアルタイムにTwitterで参加して、わぁわぁ一緒になって騒いでおりました。
 ということで、せっかくですからその時につぶやいた中の、解説めいたことを元にしてまとめたのが今回の記事です。
 
 もちろん、いつものようにできるだけネタバレになりそうな事は申しておりませんので、もしかして未見の方でもご安心くださいね。 
 

 私は原作も全部初版で買いそろえていったファンですし、テレビ版もかなり最後の方まで観ていました。
 でも正直な話ね、長すぎるのね。
『銀河超特急』と名付けられた999号ですが、ほぼ3年に渡っての放送のうち、中には何本か前後編があるにしても、100駅は停まったのではないでしょうか?当時もアニメ仲間と『銀河各駅停車や』と揶揄したものです。

 その点で言えば、この劇場版では、地球を出発した後は外惑星の土星、長円軌道の冥王星を最後に太陽系を出てすぐ外宇宙、どこにあるのかは不明ですが、トレーダー分岐点を経てイッキに隣のアンドロメダ銀河の終着駅へ。これでないと“超特急”と呼べませんわね。

 たしかにいいお話もたくさんあります。実際、あそこまで永く続けるつもりがあったかどうかも分かりません。
 人気があればいくらでも延長し、なくなれば後先関係なく打ち切ってしまう、という風潮は当時も今も少年誌系にありがちな展開でしたので、おそらくは本当に銀河超特急だったのかも知れません。
 それはともかく、テレビ版で不満だった部分はことごとく改善されたのは事実。

 作画や美術の充実もですが、演出がちゃんと映画になった。これは大きい。

 ヒットしたという事では、宇宙戦艦ヤマトの劇場版がありますが、あれは当時ホームビデオが無く、アニメを観たいと思えば再放送を待つしかなかったから、あんなダイジェスト版で事足りたのです。今なら学生が自宅のパソコンで編集してしまえるでしょう。
 

 まず、冒頭のシーンで感激してしまった。
 映倫のマークの後、やたら青くて明るかったテレビ版と異なり、どこまでも深遠さをたたえ、なんとなく星雲の存在を感じさせる程度に青いニジミをのこしたオトナ表現の宇宙空間の彼方から黄色いヘッドライトを燦めかせて走ってくるC62。
 画面を横切ったそれは、真っ黒な宇宙と対照的に美しく輝く地球へと吸い込まれてゆく。そして、タイトル、壮大なオープニング曲。

Galaxyexpress999_2

 これこそ映画ですね。映画の演出。監督はりんたろう氏、監修にはなんと市川崑監督。巷間には、ほとんど市川監督が…という説さえあるほどだそう。いずれにせよ、この冒頭からしてすごい。
 広大で深淵な宇宙から、999はすべるようにして地球の超ハイテク都市の最上部にある駅へと入って行く。そしてキャメラはそのまま建物に沿って下へ下へとパンして、ついにはスラムの最下層へ。
 この数秒だけで、『銀河鉄道999』の背景にあるものすごい格差世界をイッキに見せてしまう、見事な演出なんですね。

 そして、999号は地球とアンドロメダにある惑星を往復する超遠距離の特急列車です。それが還ってきたところから話が始まる。999号は毎回、誰かを乗せ、誰かを送り届けては戻ってくる。初見の時はもちろん、何度か観ているのにこの意味が今回、始めて飲み込めました。


 物語は、裕福な人間はその身体を機械に取り替えて長い寿命を得ながら、繁栄を享受している地球から始まる。
 機械の身体が買えない貧しい階層の人々は、そのまま格差社会ではすでに人間扱いさえされていない。
 主人公の星野鉄郎は、幼い日に母を“機械伯爵”という男に殺され、孤児となった。だが機械の身体を無料でくれるという星がはるかアンドロメダ星雲にあり、そこへは銀河鉄道999に乗りさえすれば行けるという噂を信じて、駅で知り合ったメーテルという謎の女性にいざなわれるままに、999号に乗り込むことになる───


 私の世代が最初にSFに触れた頃、科学、ことに機械化社会は否定されるもので、自然回帰こそがヒトのあるべき道である、みたいな帰結の仕方がほとんどだったように思いますし、今も基本的にその風潮は失われていないと思います。
 その顕著な例のひとつは『未来少年コナン』と『風の谷のナウシカ』。これは宮崎 駿氏の話作りの姿勢にもありますが、どんなスーパーメカが出てこようとも、最後にはみな壊れてしまって、残るのは道具と呼ばれるレベルの物ばかり。
 この『銀河鉄道999』の当時も、鉄郎がふた言目には連呼する『機械の身体』のどこがいいのだろうと思って観てたし、事実、それに憧れる鉄郎の夢はそのまま機械化社会へのアンチテーゼだったんですね。
 でも、『999』から17年後に世界を席巻した『攻殻機動隊』における、『義体(ぎたい)』という設定や考え方はそれを根底から覆しましたね。

『999』ではあくまで『生きるとは、限りある命を全うすること』というスタンスで描かれています。
 ただし、それは機械の身体を持ったキャラクターや非人類でも当て嵌めてあって、あくまで答えはこれだ、とは描かず、観る側に「生命のあり方とは何かを考えなさいよ」と疑問を提示するに留めてあります。

 また、尺の都合もありますけど、劇場版は格差社会と鉄郎の仇討ちという『垂直の関係』を描くことに徹し、テレビ版ではさまざまな人との出逢いという『ヨコの関係』を描いています。そのせいもあってか、劇場版続編『さよなら銀河鉄道999』にはミャウダーという同年代の仲間が登場する。あるいは彼を登場させることで横糸的な関係も描こうとしたのかどうか。


 この作品はいい歳になったいま観ると、いろんな事が見えてきます。


 また、『999』ではメーテル(mother)というその名の如く、母性の象徴を軸にして話が展開して行きますが、さらに三人の母が登場する。
 実際にその姿は出てこないものの、見栄のために娘の気持ちを無視したクレアの母、身を犠牲にして息子に命を繋いだ鉄郎の母、自分の野望のために娘の幸福さえ奪おうとしたメーテルの母の三人。それぞれ、見栄、献身、わがままの象徴になっている。さらにメーテルは保護と憧れ。そんな彼女らみなが母の姿であり、同時に女性の姿でもある。
 もともと松本零士先生は象徴化のお好きな方だけど、ここまで深い描かれ方だったのかと、あらためて『999』の世界観に感心してしまいました。
 
 そんなメーテルとの長く試練だらけの旅も、彼女の使命や最後の展開を思うと、なにもかもが仕組まれていたのではないかとさえ思えてくる。
 最後に全てを知った鉄郎の怒りと涙は、裏切られた恨みより、それら全ての想い出が嘘───というより、むしろ自分のひとりよがりの幻想───だった事への哀しみでもある。

 そしてやはり、なんといってもラストシーン。

 美しい音楽にかぶさる城達也氏のナレーションは最後の一滴まで涙をしぼりとる。しかし、この作品は実はそこからの鉄郎の表情の変化、そして必死にメーテルを追って駆けた線路の上を歩いて戻る。
 すると、一枚のポスターが風に舞う。見送る鉄郎の目線の彼方には、愛しい女性が去った夕暮れの空が拡がる。しばらく見つめ、やがて鉄郎は全てを振り切ったかのように、ふたたび走り出す鉄郎。もう、ふりかえらない。もし、エンディングが単なるタイトルロールだったら、この作品はここまで心に残ってない。

 このシーンこそ主演男優賞ものなんですね。
 そしてここでこの映画はまさに青春の傑作映画になった。

 最後に、余談をふたつ。
 ひとつめ。なにせ今観ても古さを感じない、演出の妙味が発揮された傑作ですが、原作やテレビ版と異なるクレアの使い方が見事。
 とはいえ、999号が停電してまっ暗になった時、自身の身体を光らせるシーンはテレビ版と同じ。ただし、劇場版ではひと味違ってましたね。あのとき、劇場はほんまにまっ暗になるんです。見えるのは鉄郎の目玉だけ、というシーンがなんと約15秒も続く。
 なので、観客が暗闇に馴れた頃、クレアがぽわん、と明るくなると、観ている客たちもホウ、って気持ちになるんですね。

 そしてふたつめ。
『999』といえばメーテルの流し目なんですが、声を演じる池田昌子さんのもうひとつの代表作はなんといってもオードリー・ヘプバーンの吹き替え。
 そしてオードリーのシンボルとしてもよく使われるのが、やはり彼女の切れ長で特徴的な流し目なんですね。

 目は口ほどにものを言う。眼だけで、ああ、これはあの人だな、と思わせるキャラクターはなかなか、他にはいないと思うし、その二人の声を演じておられるのが同一人物というのも、なにか因縁めいた物を感じずにいられません。


 では、また、お逢いしましょうね。
 
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コメント

こんにちは!
さすがに片時も離れずというわけじゃないけれど、私も見てましたよ、生で4夜連続&録画で最終日を(^^)
でも『さよなら銀河鉄道999』が完全に省られているのは何故かなーって、もしかして999における黒歴史なのかしら?

懐かしのシリーズはもちろんだけど、間に挟まれていた特集も見応えありました。
池田さんが声優対談でも顔だししなかったのが何気に嬉しかったですw

投稿: たいむ | 2010年8月21日 (土) 18:51

たいむさん、毎度です!
私の場合、4夜連続だったので観たのかも知れないなあ…単発放送やったら、「あー、またやってるな」でスルーしたかも。
お祭り的盛り上がりの効果って大きかったと思いますが、改めて観てよかったなあ、と。
『さよなら〜』別にウラの噂とかの記憶無いです。単に時間の問題かな?個人的には、その後の銀河鉄道物語とか、未だにしつこくメーテルを出したがる大先生の諦めの悪さの方が…おっとっと。

投稿: よろ川長TOM | 2010年8月30日 (月) 09:24

はじめまして。流れ流れてきました。

「息子を絶対的に信じ、誇りに想えるが故に、追わずにただ家にいる」トチローの母も忘れないで下さい(´・ω・`)

投稿: AXYZ_SAK | 2011年2月 5日 (土) 15:30

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最近は思い出の作品群を少しずつ見直している、ということを先日書きましたけれど、その中で絶対に避けて通れないのがこの作品ですね。言いたいことは概ねサイトの方に書いてありますのでそちらをご覧頂きたいのですが、今回もまた見直しながら涙してしまいました。自分にとって生涯のベスト1作品だと断言するつもりはありませんが、間違いなくベスト10には入るくらい存在感を持った作品なのです。 ただ、だからといって決して『銀河鉄道999』のファンではないのです。 例えば松本零士の描いた原作漫画は、通しで読むと辻... [続きを読む]

受信: 2010年12月12日 (日) 20:07

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