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2010年3月23日 (火)

『七人の侍』この前に時代劇なく、このあとに時代劇なし。

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 よそのブログを見ていると、昨今は2時間越えの作品を「長い」と文句を仰る方が増えましたね。
 今からふた昔になりますかねえ。「今の子供たちは30分以上落ち着くことができない」と一部マスコミに看破されてたのは。その子供たちが今の若手大人層になってる事実を思えばあながちその意見は間違っていなかったのかも。

 さあ、そんなお尻の落ち着かない可哀そうな映画青年たちよ。
 長編映画とはこれだ、魂のこもった本物の男の映画とはこれだ、という作品がこれです。
 もぉ私なんか、最初にレンタルビデオになった時は勿論、LDボックスだってDVDだって違うデバイスが出るごとに何度も買いましたよ。え、青光ですか。それはまだ機械がないので…

 この映画こそ、私のベスト・オブ・ベスト。人生で最高の映画です。
 

 
 真っ暗な中、パチパチとノイズに混じってズンズズ、ズンズ…と重い重い音楽が流れはじめる。
 やがて現れる、堂々たる手書きのタイトル───
 

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 そして語られること208分、3時間28分。
 途中で休憩が入るタイプの長尺のためと、あまりにも名前が先行しすぎて晩年のクロサワ作品のように小難しい芸術作品なのではないかと“なんとなく”敬遠されていた人にこそご覧頂きたい。
 これぞエンターテインメント、これぞ時代活劇、そして究極のチャンバラ映画のひとつのカタチ。それがこの『七人の侍』なのです…などと、今更私なんかが記事に書くのもおこがましい。
 でも、この長さ、つくられた年代の古さ、モノクロ映画であるというだけでご覧になってない若い、自称映画フリークの方のなんと多いことか。

 故ユル・ブリンナーがぞっこんに惚れ込み、私財をなげうってその放映権・上映権・再映画化権までをすべて買い取って作ったのが名作西部劇『荒野の七人』であることはあまりにも有名ですね。でもそのおかげで彼が亡くなって遺族が権利を売却してくれるまで我々はこの名作をまったく観ることができませんでした。なにすんねん、ほんまに。
 まあ、それはまた別の話。

 ですが、長い長い間そうして“おあずけ”を喰らったあとに観た時の感動は、私の人生を変えました。
 再上映の時に同行したのは、私同様に幼い時一度だけテレビで観た連中。だけど、ガキンチョでなにも解らずに観たはずの、その時のインパクトが忘れられないくらいにこの作品はすごかった。

 難しい理屈も、様々な分析もどうでもいいです。
 いや逆に、どんな楽しみ方もできる。キャラクターに惚れるも良し、描かれる時代背景に見入るも良し、これでもかと山積みされる俳優の演技に陶酔するも良し、アクションに、大道具、小道具に、ストーリーテリングに、そして根底に流れる魂に。

 ひとことで片付けるなら、これほどつけいるスキのない映画は他にないのです。「ここはいいけど、ここはなあ」というところが。もちろん、好悪てのはあるので、リアル系剣戟戦が苦手とか、モノクロ映画、邦画ってだけでダメと仰る方は論戦外。
 あくまでこの作品を好きという前提で、どんな角度からも楽しめる。どんな方向からも掘り下げてゆける。

 もう、お話ししていたら幾晩でも話せるほど愛した作品なので完全に情に流され溺れてしまいますが、あえて好きな部分を書かせていただくならば。

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 とにかくキャラクター。誰も彼も魅力的。
 物語が進むにつれ主人公たちのエピソードにからめて過去が浮き彫りになってゆく、という手法は今では当たり前ですが、実はこの手法は描きすぎてもくどいし描き足りなければキャラの魅力は半減するという、じつに微妙なさじ加減が必要で、成功した例はほとんどないと思われるのが筆者の感想です。

 しかし黒澤監督のその辺の巧さには本当に観るたびに舌を巻きます。なんたって七人の侍どころか、彼らに助けを求める百姓でさえ味わい深いキャラなのです。
 芝居の重み、演出の妙味もあるでしょう。たったひと言の台詞、ふとした仕草でその人となりを表現するというのは映画でも舞台でも最高度のテクニックにはかわりありません。
 その点リメイクでありながら世界的にヒットし、今も不朽の名作である『荒野の七人』では、七人のガンマン以外はただのエキストラに近い程度の扱いでしかないのですから、いかにそれが高度な演出技術なのか判ろうと言うものです。

 エキストラのなにげない村人でさえそのひとりひとりの存在感・生活感がきっちりと描かれているために、野武士に襲われやむなく浪人を雇って防衛戦を挑まざるをえなくなるという崖っぷちの人生がナマの現実として見えてくるという所は、最近では宮崎駿監督が一見ストーリーに関係ないはずの設定まで事細かに積み上げてゆくことで架空の世界にリアリティを与えているのと同じです。
 まさに実在の人間と同じで、“不要な人物などひとりとしていない”ということを体現しているかのよう。これこそまさにシナリオの職人芸。
 そしてそんな緻密なはずの演出をサラリと見せているところがニクイ。正直、一度観ただけでは気づかないことがいっぱいあるのです。
 

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 さらに単純明快とも思えるストーリーに痛いほどの緊張感を与えているのが、当時としては驚くほど生々しい刀剣による殺し合いの描写。これがモノクロな為に黒々とした液体ほど、かえって本当の血に見えるのはヒッチコックの『サイコ』でも実証済み。
 当時の“チャンバラ”は…いや、今でもそうですが、お茶の間向け時代劇に登場する刀はまさしくチャンバラ用のオモチャのようなものだし、殺陣(たて)も踊りや歌舞伎の要素が入っていて『舞』のよう。しかし実際の刀は重い。振り回していたら数十分と体力は保たない。
 そこへさらに甲冑を着ける。和服は洋服のようには動けない。土の地面はボコボコ。何が落ちているか判らない。そして、刀は折れる。曲がる。欠ける。
 そんな“あたりまえ”が諸処に丁寧に描かれ、そこから導かれる因果関係がストーリーにも影を落とす。

 チャンバラ、黒澤映画の場合は汗だくで肩を上下に息を切らしてむしろそれはみっともない、けれど実際の斬り合いに限りなく近いだろう事は俳優たちの必死の形相に見て取れます。

 生命のやりとり…まさに“生き延びる”ためだけに画面の中の侍は戦い、百姓も闘う。
 そして、この文章を読まれた若い方たち。本当の戦争を体験し、身近な死をくぐりぬけて戦後を迎えた当時の俳優たちには、今のぬるい時代に生まれ育った俳優には絶対にできない迫真の演技をご覧いただきたい。

 けれど黒澤監督の憎いところはこれだけではないのです。ちゃあんとそんな殺伐とした話の中に“戦場のラブストーリー”が織り込まれ(しかも全く自然に無理なく)、さらに所々にお茶目な笑いのシーンも多数散りばめられている。
 黒澤監督は、人情の機微を繊細に、そして侍の生きざまを大胆に描いた時代劇作家・山本周五郎の作品をこよなく愛したといいます。
 山本周五郎の作品のように、いわゆる庶民、貧乏人の涙と汗まみれの必死な生き方の中にある小さな幸福や笑い、感動をいかにしたら自分の作品にも織り込めるかと腐心されたとか。

 この作品ではまさに人というものは生まれ、生きるために生きて、生きるために殺し死んでいき、また生まれてくるものなのだ…と作品全体から叫んでいるかのようなエネルギッシュな映画なのです。
 だから本来なら殺伐とした時代背景、そして虚しいはずの終わり方をしている映画の筈が、見終わると不思議な元気を貰っている自分に気づくのです。

 どなたかがおっしゃいましたね。
「この映画は実は、みなが皆、好き勝手なことをしている映画なんだ。だからなんだかんだ云っても自由を謳歌してるんだよ」と。
 目から鱗でした。たしかにその通り。ある意味で、それが一所懸命生きるということなのでしょう。

 筆者は好きなものだからついつい理屈をごちゃごちゃとこねましたし、実際この映画は計算され尽くした崇高な映像芸術でありますが、同時にオトナも子供も男女の誰でもが先入観なしに楽しめるもっとも優れたエンターテインメント映画のひとつであることも確かです。
 そうして、数字では長いはずの三時間が知らない内に終わっていて、見終わった人の心に何かが必ず残る…これはそんな映画です。
 歴史的になってしまって芸術作品的な扱いになっていますが、これが新作の映画だったとしてもやはり客席は連日満員御礼になること間違いなしの魅力ある作品には違いないのです。
 
 ひとことでいえば、「こんな面白い映画は他にない。」
 

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 ほんとは、劇場の巨大スクリーンで味わうのがいいに決まってる。
 
 かくいう私、もう長らく劇場では映画を観ていません。観客のマナーが悪すぎるからね。行儀の悪い人が同じ劇場にいると、雑念の多い私は集中できないの。だけど、こうした昔の映画はドルビーでもなければデジタル音源なんてありえない。
 フツーに再生しても、音響だけなら今の自宅の方が絶対上等なんですね。画面もそう。大きさこそ勝てませんが、明るさや解像度の点だけで言えばブラウン管テレビで充分。
 ただし、イマドキのデジタル放送なのでちゃんと調整して、画面に余分な黒部分を出させないようにしてご覧くださいね。

 もちろん、まわりは暗くして。「明るくして、画面から離れて」なんてナンセンス。そんなの映画じゃないですよ。
 え?ごちゃごちゃうるさい?私はワタシ流でこの映画を楽しみますって?
 ───ええ、そう。それでいいんですよ!それでこそ『七人の侍』は名作なんです。

 
 では、また、お逢いしましょうね。

 イメージ画面はDVDから拝借いたしました。ご存じの方には名シーンばっかりでしょう?
この作品、もう出演者のほとんどの方が亡くなられているので今の若い方はご存じでない俳優さんばかりでしょうが、二番目の四コマ写真の右上で右へ横切ってる若侍がエキストラ時代の仲代達也氏である、というのは昨今では知られてますね。

 さて、『七人の侍』といえばやはり『samuraiの気になる映画』のブロガー、samurai-kyousukeさん。チラッと裏話なども書かれておられますのでご参考に。

 では、また、お逢いしましょうね。

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コメント

一番面白く、一番カッコ良く、一番泣ける邦画ですよね。
酷評する友人とつかみ合いになった事があるぐらい好きです。(笑)
記事内リンクありがとうございます。

投稿: samurai-kyousuke | 2008年9月 1日 (月) 07:32

samurai-kyousukeさん、毎度です!
つかみ合いのケンカ、当然でしょう。ヽ(´∀`*)ノ
まあ酷評するとしても突き詰めたら好きか嫌いかということであって、作品のつくり云々ではケチのつけようがないと思うんですけどね。
それはともかく、ビデオもDVDも持ってるのに、やっぱり今週末の放送が楽しみなのはなんででしょうねえ。

投稿: よろ川長TOM | 2008年9月 2日 (火) 13:45

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