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2010年3月17日 (水)

【お知らせ】青少年育成条例改正案は映画文化も蝕む。阻止すべし。

Yologawan ご存じの方も、ご存じでない方も、映画ファンならぜひ知っておいていただきたいすごく大切な話です。
 まずご理解いただきたいのは、今回の『法改正』は、絶対にわいせつなマンガやアニメをとりしまるなどという単純な話では済まない、ということです。
 本家ブログ《『青少年育成条例改正案』作家を目指す全ての若者にアラート!!》でも訴えていますが、都議会が今回の改正案を出してきたのは、マンガを槍玉に取り上げるのが今のアニメ全盛に見える風潮の中で、もっとも賛同を得るのが簡単だからそうなっただけです。
 
 ちょっとくどいけど、映画を愛するあなたはぜひ読んでください。え、クドイのはいつものことで慣れてる?まあ、ありがとう。今回ばかりは褒め言葉ですよ。
  

 
 今回の顛末がどういうものかをご存じない方にしてみたら何を大げさな、と思われるかも知れません。いわゆる反対のための反対、と思われる方もおられるでしょう。
 しかし、こういう内容だと知れば、ちょっと考えてしまいませんか。
 
『あしたのジョー』『あした天気になあれ』で知られる、ちばてつや先生のホームページ『ぐずてつ日記』に書かれた解釈がもっとも判りやすいので転載させていただきますと、要するに───
 
「非実在青少年」つまり、実写ではない、マンガや劇画、アニメーション、ゲームなどに出てくるキャラクターが18才未満に見えた場合、セックス、暴力、あるいは何か怪し気な場面を表現をしたら、取り締まれる法律を作ろう、という都議会法案なのです。
 
 意味がお解りでしょうか。先生は“実写ではない”と書かれていますが、非実在というのは特撮やCG、VFXで作られたキャラクターを指してもなんら不思議ではない、という含みがあるのです。
 極端に言えば、AVATARのナヴィ族の女性が服をまとっていないので卑猥だ、けしからんという“判定”が下れば、上映禁止になると言うことです。
 
 スターウォーズのお姫様が「衣服が男子の劣情を誘うのでけしからん」という言い方もありえるのです。いや、場合によってはライトセーバーでの格闘が「子供がマネをする可能性が高い」から禁止、という理屈もあり得る。
 
 はははは、と笑ったそこのあなた。歴史を振り返ればいつの世も、そうなる前は誰もが「まさか」と思ったのです。なってから腰を抜かした。後悔した。
 映画好きなら、戦前の日本でどれだけの映画や芝居、小説が検閲によってズタズタにされたかご存じでしょう。『笑いの大学』はフィクションであってフィクションではありません。
 もっと身近な例では、北朝鮮の情報操作。ネットが普及する前は中国もそうだったし、先日のGoogleとの騒動も記憶に新しい。
 かつてソ連では、自国の旅客機が墜落しても報道してるのは外国ばかり、ソ連国内は勿論、遺族さえその事実をしらないままだったと聞いたことがあります。それが情報を牛耳るということです。
 
 ちゃんちゃらおかしいのは、この法案には小説は含まれていないということ。都知事が小説家だから、という勘ぐりはともかくも、あまりにもあからさまで苦笑してしまいますが、しかしそれも時間の問題。法を作るものと、執行する者は別人、一度作られた法律は善かろうが悪かろうが、独り歩きしてしまうのです。
 
 
 いぶかしいのは、今回の法案はマスコミもほとんど知らないままに提案され、進展し、可能な限り人に知られないようにして成立させようとしたような運び方が見受けられるということです。
 また、過去も今もマスコミはマンガはもちろん、アニメにもあまり好意的には捉えていません。
 もちろん文学の一派、まして映画と同じエンターテインメントだとさえ考えてさえいません。
 たまたまジブリのアニメが外国で評価されたので、欧米に合わせてとりあえず持ち上げただけのこと。それが思いのほかに反響があり、世論に後押しされてしまったのでそのまま“なんちゃって支持”に廻ったまま今に至っているに過ぎません。
 
 マスコミが本当に日本のアニメーションの値打ちを理解した上で、記事にしたり取り上げたりしているわけではないことは、実際に作品を観、その内容を映画として、芸術として鑑賞できる目を持った皆様ならよくお解りのことと思います。
 そんな調子だからか、たとえマスコミ不在でこの法案が進められていたところで、さして彼らも腹を立てなかった。いわゆる市民オンブズマンも気にしていないかのよう。
 
 それもこれも、マンガもアニメも、日本ではいまだに文化としての市民権を持っていないからです。
 
 そんな具合ですから、マンガやアニメに理解を示さない人はもちろん、単にマンガやアニメを知らない人、興味のない人を煽動するのは実に簡単。
 あなたも「マンガもアニメもSF興味ない。芸術的な映画や文学作品が見られるなら構わんな」と思ってませんか。
 
 あいにくごく一部のマンガ・アニメファンにはたしかに傍若無人な態度の人がおり、過激を通り越して無軌道とも思える攻撃的な表現者が居ることも否めないからです。
 しかし単に粗暴な人なのか、愛情が溢れすぎて暴走しているのかのボーダーラインはどこにあるのか、といわれたら「決められない」のが本当のところではないでしょうか。
 わいせつと芸術も同じで、その人があるポリシーに則ってそういう表現をしたのなら、それは立派な芸術であるからです。
 
 それは例えば大島渚監督の映画、篠山紀信氏の写真芸術。五味耕介氏の小説もたしか裁判沙汰にまでなった記憶がありますし、そういう例は過去にいくらでもある。
 わいせつか、芸術か、は永遠の火種なのは今も昔も変わりません。
 
 暴力シーンもそう。北野武監督の映画におけるバイオレンスは身の毛もよだつものです。
 もしかしたら現実の暴力より恐ろしい。でも、欧州が高く評価してるから誰も手を出さないだけ。それをよくご存じだから、この前も彼は「文化勲章を貰ってから食い逃げで捕まる」などの黒冗句をいうんですね。
 
 しかし私はかねがね、アメリカで再発する未成年の銃撃事件は“汚いものにフタをする”児童向けテレビ規制とはうらはらに、現実では殺人が横行し戦争を肯定する社会とのギャップがあると考えていますし、日本においてもいびつに隠蔽した性教育などするから歪んだ性意識を持ってしまうのではないかと考えています。
 要は清濁併せ呑んでもきちんと善悪が判断できる自浄能力の育成にある。いくら綺麗事を並べても、汚いものを無くそうとしても、世界は広く、永遠に清らかにはならないから。
 
 しかし、それを世論を煽動するために利用するのが早道とはいえ、あまりにも汚い。
 しかもこのことが最初のとっかかりであり、ひとつ突破されてしまうと最後に待っているのは戦前・戦中の『検閲』が当たり前の国なんです。

 最後まで読んでくださってありがとうございます。
 できましたら、ちばてつや先生のサイトや、この件に関する大勢の有識者様の意見に耳を、目を向けてください。そして、この事をご存じでないあなたの隣人にもぜひ伝えてください。
 
 真実を知り、そこから派生する未来を予測することがあなたの本当の自由を、ひいては子どもたちの未来を守ることになります。
 
 

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