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2009年11月 1日 (日)

『父と暮らせば』戦争の傷痕から学ぶべき事。

Img20050728
 はい、みなさんこんばんわ。
 昨年2010年4月9日の井上ひさし氏に次いで、先日2011年7月19日に主演の原田芳雄氏も鬼籍に入られました。残念ですね。年を経るほどにまさに“いぶし銀”の味わいを深めておられただけに。

 そして今年2011年は、広島原爆投下の次の日、8月7日にこの作品がBSシネマにて放映されます。

 少しでも多くの方にご覧いただきたい作品ですので、古い記事ですがまたぞろほじくり出してまいりましたよ。

 さて。

 あなたは広島の原爆ドームの存在をご存知ですね。では、実際にご覧になったことはおありでしょうか。

 もう10年以上まえになりますが、筆者がはじめて実際に原爆ドームを見たとき、その色にぎょっとしました。

 テレビや写真で見るそれは、鉄骨がむき出しになった廃墟、草むしてはいるけれども全体に古びたコンクリートならではの、灰色モノトーンの壊れたビルディングです。

 しかし実際に原爆ドームの足元に立って見上げたとき受けた印象は全然違っていました。

 「えっ。この赤い色はなんや!? なんでこんなに赤いんや。」

 抜けるような初夏の青空をバックにしてそびえ立っていたにもかかわらず、筆者の眼に映ったコンクリートの廃墟はモノトーンなどではなく、まるで全体ににじみ出すように赤っぽい色に感じたのです。

 もちろん鉄骨は錆びてはいますが、ちゃんと保存のためのコーティングもされているので赤錆のせいでそう見えたわけではないはずです。
 センチメンタルな気分で見たわけではない…といえば嘘になりますが、少なくとも連想する色は赤ではなかったはずです。
 霊感のようなものはないわけではありませんが、霊視できるほど敏感でもないので血の色、というのでもありません。
 ただ、色に敏感であるべき商売柄、灰色という先入観に左右されずに、わずかな色のズレを感じ取ったにすぎないのかも知れません。

 しかし、たしかに原爆ドームは赤かった。その赤い色の印象がいまだにぬぐい切れません。

Img20050728_1

 ───『父と暮らせば』は日本を代表する劇作家のひとり、井上ひさし氏にとっても代表作のひとつですが、筆者は不勉強でこの作品の背景が原爆投下三年後の広島で、しかもとても重い過去を背負った妙齢の娘が主人公の話だとはつゆ知らずに映画館へ出向いたのです。

 いや、むしろ。

 娘の将来が心配で幽霊となって出てきた父親との奇妙な二人暮らし…というふれこみ、そして原作が井上ひさし氏ということで、てっきり悲喜劇だと勝手に信じ込んでいたのです。ほんとうにお恥ずかしい限りです。

 それだけにのちに受けた衝撃は大きかった。

 もともとが舞台劇であり、あえてその形式を採った作品のため、登場人物は娘と父親のふたりだけ。
 一応、娘の想い人としてひとりの青年が登場しますが、ほとんどカメオ出演のようなもの。
 それほどこの作品はあえて舞台劇の二人芝居の良さを活かした独特の演出方法で描かれています。

 主人公の娘を演じるのは宮沢りえ、その父親に原田芳雄。

 娘は図書館の司書。妙齢な上に器量よしだから浮いた話がないわけでもなさそうなのですが、当人は自分が幸福になることを怖れるかのように、そういった事柄をかたくなに拒みます。
 彼女がただひとり心を許すのは陽気で寛容な父。
 娘の将来を気にしてブツブツ小言をいうものの、戦前は旅館か料理屋だったその家で板前もしていたらしく家事にも通じていて、なにくれと娘の世話を焼きます。

 しかしどうもヘンなのです。

 父親は同居しているような、さりとてフイ、と突然いなくなったりもします。
 娘は娘で、外出から戻った娘が家事をしている父親を見つけて、にこにこと「また来てくださってたのですね」みたいなことを言うのです。

Img20050728_2

 それもそのはず、父親はとうにこの世のヒトではなかったのです。
 しかしそんなことは当たり前のように平々凡々と流れてゆく父娘の時間。
 むしろユーモアのある日々の暮らしの会話には、心和むほのぼのした雰囲気にあふれているほど。
 
 けれどある日、図書館にやってきた青年と互いに気になる存在になってきたときから物語はおおきく動き始めるのです。
 押さえきれない恋心にとまどいながらも、やはりかたくなに自分の殻に閉じこもろうとする娘。
 「自分は幸せになってはならない」を口癖のように繰り返す娘に業を煮やした父はとうとう堪忍袋の緒を切る父親。
 やがて三年前に娘と父親の間に何があったのかが少しずつ浮き彫りになってくる…

 この元になっている舞台版は私が知らなかっただけで、ここまでのお話はよく知られていたらしい。ですからあえてここまで描かせて頂きましたが、不勉強な私はこれらのことを観て行くうちに初めて気づき、全身が総毛立つ思いでした。

 今更ですが、井上ひさし氏の原作や黒木和雄監督・池田眞也氏の脚本、演出もさることながら、宮沢りえ、原田芳雄のふたりの役者力はやはり卓抜しています。
 そちら方面に関しては“下手な解説、雑音に似たり”ですのでこれ以上は書きますまい。

 極端な話、“ふたり芝居”なので大がかりなセットもなく、舞台もほとんど家の中で話が進行してゆきますが、反対に取るに足りないような小物やささいなエピソードにもすべて裏付けと存在の理由があります。
 物語が進展するに従ってそのものごとが示す本当の意味が解ってくるほどに、最初とても地味に見えた物語が実は衝撃的な事件が発端であり、娘のかたくなな行動の理由や台詞のすべてに意味を見いだすことができるようになります。

 そして主人公の父娘ふたりの存在がいつの間にか、観ている者の心の奥へ、深く深く根を張っていることにも気づきます。

 この記事を最初に書いた2005年の4月21日、この作品は作者の井上ひさし氏や被爆者4名を招いてアメリカ・ボストンにあるMIT(マサチューセッツ工科大学)ホールで上映され、観客はたった150人でしかも一度きりの上映だったにもかかわらず、衝撃のクライマックスに観客から多大な反響を受け、同時に支持を得ました。

 本当はこういう作品こそ、全世界で大々的に公開して欲しいのですが…
 せめて、米・露の両首脳陣くらいは観て欲しい。けれど本当に必要なのは、こうしたことを誰もが知っているべきだということなのでしょう。

 核兵器は戦争そのもの。

 経験のない人にとっては瞬間的で圧倒的な破壊力しか驚異に感じないけれど、本当の驚異、恐怖は使われたのち未来永劫にわたって人々に生き地獄を与え続けることなのです。

 そして真の恐怖は、そのことを理解できない人が大勢いて、世界の運命を握っていること。

 それはけっして政治に関わる人だけのことではありません。

 もしも戦争が起こったとき、実際に戦地へかり出されてしまう人、故郷にいて戦争に巻き込まれる人もちゃんとこのことを理解しておかなければならないのです。

 最後に…

 皆さんはこの映画のラストシーンをどう捉えられるでしょうか。
 私はそのラストの意味するところを大変衝撃的なものとして捉えました。しかしあとでパンフレットや公式サイトでは、前向きなとらえ方で書かれていることを知り、そのことでも大変考えさせられてしまったのです。
 私はその解釈が勘違いであることを祈りつつ、劇場を出た記憶があります。

 この作品は今年2005年6月24日にリリースされています。ぜひご覧ください。

*文中、俳優・スタッフ敬称略 *写真はパンフレットから拝借しております。


*以下は共同通信ネット版記事よりの転載です (4月22日17時41分)

米で「父と暮せば」初上映 核保有国にも感動広がる

 映画「父と暮せば」の米国での初上映後、質疑を交わす被爆者と観客=21日、米ボストン近郊の、MITホール(共同) 
 【ボストン21日共同】原爆で父親や親友を失った女性が苦しみを乗り越えていく姿を描いた映画「父と暮せば」(黒木和雄監督)が21日(日本時間22日)、米ボストン近郊のマサチューセッツ工科大学(MIT)で上映された。
 
 米国での上映は初めてで、タフツ大(ボストン近郊)とMITによる映画祭「世界のヒバクシャ」の目玉の一つ。映画には原作者井上ひさしさんの「より多くの核保有国の人々に見てほしい」との思いが託されている。
 映画の舞台は原爆投下から3年後の広島。生き残った負い目を抱える娘が、幽霊となって現れた亡き父に励まされ、未来に目を向けるまでの物語。
 
 映画祭には核拡散防止条約(NPT)再検討会議で、核廃絶を訴えるために渡米した被爆者4人も参加。ホールを埋めた約150人の学生や教員らは、原爆による別れのシーンで涙を流し「生き残って申し訳ないというのはどのような体験だったのか」など多くの質問が出た。
 
 ダニエル・レビン元MIT教授(65)は「これまでは米国が戦争に勝って幸せだったが、映画を見て全く変わってしまった。罪の意識でいっぱい」。
 
(共同通信) - 4月22日17時41分


 では、また、お逢いしましょうね。

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*以下は旧『よろ川長TOMのオススメ座CINEMA』時代に戴いたコメントの再録です。

このアメリカでの上映会の際に、「自分だけ生き残って申し訳ないという感情はどういうものですか?」という質問がアメリカ人から上がったとの記事を読みました。

自分がこう思うから、人もそう思って当然というのは、エゴだと思います。
すべてではなくても、お互いが分かり合えるように粘り強い対話が大切だと思いました。

Posted by:あじゃみん  at 2005年08月09日(火) 11:40
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宮沢りえ、原田芳雄の二人の凄い役者の演じる、親子の交流を描くことで、戦争の悲惨さが浮き彫りになる、とても深い余韻に残るいい映画でした。広島の事をもっと考えなければいけませんね。

Posted by:exp#21  at 2005年10月02日(日) 22:54
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exp#21さん、トラバ&コメントありがとうございました。
最近とくに思うのですが、広島は戦争悲劇のワンシーンにすぎないのではないかと。
理不尽に生命が奪われるのは一発の銃弾も核エネルギーの閃光も自爆テロも同じ。

#21さんは、光射すガレキの中に咲く花、そしてカメラがパンすると原爆ドーム越しの青空…というラストシーンをどうとらえられましたか?

私は一瞬、娘さえも実はこの世の人ではなく、父親への申し訳なさゆえに迷っていた霊ではないかと思えて愕然となりました。
間違った解釈だったとしても、いまでもその印象がぬぐえません。

実際、広島も長崎も、自分が死んだことさえ知らずに消滅した生命のなんと多かったことか。そして今もさまざまな武器が世界中で無意味に生命を奪っている現実を思わざるを得ないのです。

Posted by:よろ川長TOM  at 2005年10月03日(月) 00:12
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どうもコメントありがとうございます。僕は最後の場面は娘の未来への希望と過去への自分なりのけじめと捕らえました。おっしゃられるとおり、確かに娘自身も死んでいたのかも知れませんね。様々な解釈がうまれ、TOMさんのような方がいれば、問題提起としても、黒木監督はこの映画を作ってよかったのではないでしょうか?ブログを作っていらいのとても考えさせられるコメントありがとうございました。こちらのブログにも乗せておきますね。

Posted by:exp#21  at 2005年10月03日(月) 00:26
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MITで150人ですか。アカデミー賞外国語部門にエントリーなんてことには、絶対ならないでしょうね。

幽霊かどうかはともあれ、主人公の幸せは、ほんの一瞬に終わるだろうというように、思わせられます。

Posted by:kimion20002000  at 2005年10月26日(水) 18:55
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初めまして。「父と暮らせば」で検索して、伺いました。
映画に対する愛が感じられる素敵なブログですね。
ラストシーン~日々草が、とってつけたようだなぁと思ってしまいました;象徴的、演劇的というのでしょうか。
そして、彼女は原爆ドームに住んでいたの?ありえない設定もまた、何かの象徴なんでしょうね。

>自分が死んだことさえ知らずに消滅した生命のなんと多かったことか。

この文章が重いです。

また寄らせてくださいませ。

Posted by:ちゃとと  at 2005年11月09日(水) 13:03
 

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