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2007年5月19日 (土)

『U・ボート』戦争映画で伝えられること、伝えねばならないこと。

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 はい、みなさんお久しぶりです。
 『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』など、ここしばらく太平洋戦争を取り上げた映画が公開されていますね。
 『プライベート・ライアン』や先日公開された『俺は、君のためにこそ死ににいく』05年の『男たちのYAMATO』などヒロイズムの甘さが隠せない邦画に限らず、『地獄の黙示録』以来ひところ盛んだったベトナム戦争テーマの作品に比べれば、同じ戦争物でも第二次世界大戦はまだ少しは人間くささがあるような気がします。

 1970年代ごろは、まだ探せば大阪のような都市でさえも無惨に残っている戦争の傷跡も見ることができたものです。あの大阪城の近隣でさえも、工事で掘ればポロポロと不発弾が見つかりましたし、爆撃で破壊されたまま永く放置されたレンガ造りの建物もありました。
 今では嘘のようですが。
 妙なもので、神戸空襲をからくも逃れた親の影響でしょう。あの戦争は太平洋戦争と呼ぶ方がしっくりきます。第二次世界大戦というとどうもヨーロッパ戦線をイメージしてしまいます。

 手前味噌はさておき、『U・ボート』
 今回は潜水艦のお話と見どころの他に、ちょっと戦争映画についてお話ししましょうね。 
 


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 さて、Uボート、日本ではユーボートと呼びますが、本来はドイツ語なのでウーボート。Unter-see-bootつまり海の下の船、の略ですね。
 今の原子力潜水艦や自衛隊の潜水艦などは鯨みたいな流線型をしていますが、いわゆる潜水艦らしい形になって40年目の第二次世界大戦時は、まだ船っぽい形をしてました。
 ですが原子力潜水艦以外の潜水艦は今も昔も、海上ではディーゼルエンジンで航行し、同時に発電機でバッテリーに充電して海中ではその電力でスクリューを廻すのです。
 だからバッテリーが切れたら浮上しないと充電もできない。もちろん空気が何より貴重なので、吸排気できない海中ではエンジンなどかけられません。

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 当時の潜水艦は今のものよりはるかに小さく、艦内は狭いのでプライバシーもないし、配置担当によっては毛布を載せた魚雷の上に眠るハメになったり。
 読み聴きしたところでは、エアコンなんてないから高い湿度で蒸し暑く重苦しい空気に、磯とカビと燃料と体臭と生活臭が機械油に混じった何とも言えないムッとする悪臭が充満しているのだとか。
 なによりも長く潜っていると酸素欠乏というタイムリミットがあります。
 水中に潜って敵を攻撃するので有利なようでも、潜水艦が外の様子を知るすべは音波探知しかないし、潜望鏡という唯一の眼はある程度浮上しないと使えず、これまた唯一の武器である魚雷は敵の方へ艦をまっすぐ向けない限り発射もできない。(しかも日本製魚雷と違って不発が多かったそう)
 もちろん潜水中、鉄の壁の外は人間など瞬間に潰れる強大な水圧の世界で逃げることもできない。さりとて浮上すれば船足も遅く、砲撃の目標にされるだけ。狭い艦内で男たちの運命は一蓮托生───

the-enemy-below.jpg このダメだらけの行動制限ゆえに映画になると最高の緊張感を生み、観るものにハラハラドキドキのエンターテインメントを提供してくれるわけです。こればかりは『レッド・オクトーバー』や『沈黙の艦隊』のように現代の広くて清潔なハイテク潜水艦ではそこまでの緊迫感は出せません。
 しかも潜水艦には駆逐艦という宿敵が存在します。
 駆逐艦はその名の通り、戦艦などに比べて小型なので速度もあって小回りも利くので潜水艦の真上から爆雷を投下するのに最適なんですね。でも、もちろん駆逐艦にもはるか水底(みなぞこ)の潜水艦の正確な位置まではなかなか判りませんから、互いに知恵と当時のハイテクの限りを尽くして戦う所にも、チェスのような知的醍醐味を感じられるのでしょう。

 こうした構図の最高傑作にロバート・ミッチャム&クルト・ユルゲンス主演の『眼下の敵(1957年米)』があります。
 アメリカ海軍の駆逐艦に新任艦長としてやってきた若いミッチャムが不信気味な乗組員を次第にまとめながら、ドイツのUボートを手足のように操るベテラン艦長ユルゲンスと丁々発止の駆け引きで戦うというもの。
 数百メートルの厚い海水を隔てて、逢ったことさえない二人の名将に芽生える奇妙な友情の描写が見事な作品でした。

 でも、現実はそうじゃない、そんな気取った甘っちょろいもんじゃない───といろんなカッコイイ潜水艦映画を見慣れた我々の前に現れたのがこの1981年制作の『U・ボート』だったのです。

 この『ネバーエンディング・ストーリー』『第五惑星』『トロイ』のヴォルフガング・ペーターゼン監督の出世作となった『Uボート』も、たしかにこうした潜水艦対駆逐艦の手に汗握る戦いを軸にしてはいますが、大きく異なる点は、ハタ目には“灰色の狼”と恐れられた潜水艦というハイテク兵器を、あくまで乗組員サイドの“鉄の棺桶”としての視点でそれまでの潜水艦映画とは比べものにならないリアル描写に徹しているところ。
 実際、さきほど書いたような極限の環境下で四六時中ずっと死の危険を感じながら閉じこもっているのです。閉所恐怖症でなくてもヘンにならない方がどうかしている。(戦後の計算ではUボート全乗組員の3/4は戦死したという)
 船内での窮屈な生活、ささやかな楽しみ、そして死と背中合わせの恐怖、目隠しされたまま獣の穴へ投げ込まれるかのような戦闘、彼らの日常はまるで人間の精神がどこまで保つかという耐久試験を観ているかのよう。
 実は80歳になる私の伯父が日本海軍の伊号潜水艦の水兵だったそうですが、当時の話は今もしたがらないので、やはり余程の経験をしていたのだと思われます。

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 そんな非人間的な装置こそが、殺人を目的に生まれた『兵器』なのです。人間はそれを動かすための部品にすぎません。まして、兵士はコマ。突っ込めと命じれば死ぬと判っていても突撃せざるをえない。

 ところが、私を含めて我々現代の日本人は甘ちゃんなので、どうも戦闘というものにどこかヒロイズムを求めてしまう傾向があります。兵器に関しても、男の子は零戦や戦艦に限らず現代のガンダムに至るまでカッコイイと感じてしまうのは“チカラ”に対する憧れや一種の本能なのかも知れません。

 それだけなら他愛ないのですが、それとは別に、悲愴感と共に正義だの正当性だの、「誰かのために」「愛する人を守る」などなど、ヒロイズムやセンチメンタリズムに訴える配給会社の広告文句がそのまま作品の印象まで決定し、下手したらどっかの右派知事や某総理大臣みたいに心まで軍国化洗脳しかねないのかがこわいですね。
 一般的な邦画や洋画の戦闘シーンのように「やられたー」はもちろん、「◯◯、しっかりしろ」などという悠長な別れがあるうちは戦闘の初期段階か、かなり幸福な戦闘ではないかと思われます。
 むしろ積み木が崩れるようにあっさりと人は命を失います。銃撃でも、撃たれて身体に穴が開くだけだと思ったら大間違い。銃弾の口径次第では当たっただけで身体がちぎれ飛ぶのです。頭だったら果物みたいにつぶれます。
 逆に、浅傷(あさで)の場合は苦しんで苦しんで、救助されなかったらそのまま緩やかに苦しみの中で死んでゆくことになります。
 爆死ならば一瞬でひとつの人生を汚れた肉片に変えます。毎日あたりまえのように報道されている自爆テロや銃撃の犠牲者は映し出されませんが、現場では硝煙と血の臭い、そして前日の死体からの腐臭が充満していることでしょう。
 グロい映画の話ではありません。これが現実の戦争でのスタンダードな死に方なのです。

 また、敵に殺されるとは限りません。味方の誤射、兵器の事故、疫病など原因には事欠きませんし、身体より精神を先に病むことも多いと聞きます。
 「俺は、君のためにこそ死ににいく」などといくら美辞麗句で誤魔化しても「戦争は政治の手段だ」と言い切った人がいるように、所詮は人の命を道具として活用できる見ず知らずの“誰か”の欲得のために無惨に醜く死ぬのです。

 それが分かっているからこそ、誰かのためとか、英雄行為とかで自分を慰めなければ精神を保てないのかも知れませんが、戦争を知らない我々にはそれを「尊い犠牲」だなんて唱える資格はありません。強いて言えば「気の毒な犠牲」。
 誰かを守るため生命を懸ける、なんて言っても、身を犠牲にして他人を救うのと勘違いしてはいけないのです。戦争はテロリストから市民を守る戦闘とは違う。戦争とは武装した市民同士が政府組織の命令で殺人をしあうことです。最初から犬死にするため戦うのですから。

 マスコミや政治屋はなにかというと『戦争の尊い犠牲者』という表現をしますが、単なる言葉遊びです。あの世はともかくこの世では生きている生命こそが尊いのであって、死んでしまったら祀られようが死者に報いる術も意味もない。死者を弔う気持ちが本当なら、なぜ紙切れ一枚で殺し殺される異常な空間へ送り出したのか、そして未だに戦争ゲームのための軍隊が存在するのは何故か───

 唯一、日本軍とドイツ軍の違いは、日本が精神的にも物質的にも自己犠牲を強いたのに対して、ドイツではパイロットや兵士の可能な限りの生還を促していたこと。ただし理由は、訓練された兵士の値打ちを無視して使い捨てするか重要視してリサイクルするかの違いなのですが。

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 物語は終始、Uボートに取材(というかナチスの広報活動)のため同乗した従軍記者ヴェルナー少尉の眼を通して描かれていて、それは原作を書いたロータル=ギュンター・ブーフハイムという人の体験を元にしてるんですね。
 ドイツ映画は俳優に馴染みがない分、先入観なしに純粋に物語に没頭できます。しかも艦長役のユルゲン・プロホノフの存在感がすばらしく、他の兵士達もそれぞれ個性的で、ささいな行動やなにげない台詞の端々からも、小さな潜水艦に詰め込まれた多くの人生の片鱗を覗かせてくれる群像劇でもあります。

 また、字幕版なのでドイツ語ならではの号令の仕方、命令伝達の雰囲気がより伝わってくるはずです。

 冒頭、小ぎれいだったドイツ士官、乗組員たちが船の中で艦内生活を続けるうち、どんどんどんどん浮浪者のように汚れてゆきます。
 やがて戦闘を重ね、明るかった若者から笑いが消え、ある者は勇敢になり、ある者は狂い、ある者は負傷し、死んでゆく。
 単なる死体になりはててゆく兵士たち。生前、彼らにはどんな人生があったのか。どんなに苦労したのだろうか。どんな目に遭ってここまでたどりついたのか───そして、どうして死んだのか。
 いったい、何のために生まれてきたのか。
 この作品『Uボート』は2時間12分の全編をもって体当たりでそのことを私たちに訴えてきます。

 そして、戦争とは何か。
 そうまでしてしなければいけない戦争とは何なのか………を叫ぶようにして、長い物語は終わるのです。

 ぜひ、ご覧くださいね。

 ちなみにこの『U・ボート』、もとはドイツの6本立てテレビシリーズだそうで、そちらも最近『テレビシリーズ完全版』としてDVDで発売しているそうです。

 *イメージ画面は『SUB-SCOPE.com』から拝借いたしました。

 
 では、また、お逢いしましょうね。

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 最後まで読んでくださってありがとうございます。ちなみに私───
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コメント

潜水艦ものは大好きです。
幼少の頃、映画「眼下の敵」、漫画「サブマリン707」、TV「原子力潜水艦シービュー号」で潜水艦好きが刷り込まれましたよ。
「Uボート」は劇場に勇んで出撃し観賞したのですが、リアルな描写に感銘を受けました。
ラストは「戦場にかける橋」を思い出しました。
TVシリーズとセットになっているDVD-BOX買おうかだいぶ以前から懸案事項です。(笑)

投稿: samurai-kyousuke | 2008年4月 4日 (金) 09:05

samuraiさん、毎度です!
私はチャンネル権の関係でシービューは観ていないんです。当時小学校の友人はフライングサブで萌えてましたが。{笑顔}
実はマンガ雑誌も読まなかったんで707も知りませんでした。{困った}しかし昨今の潜水艦は進化してるから、現実問題としては良いことなんですが映画にしても居住性が良すぎて昔みたいな緊迫感に欠けますね。
{ラブ}個人的な希望としては、かわぐちかいじ氏の『沈黙の艦隊』をアメリカ資本でいま流行の長尺ドラマにして貰いたいんですけどね。

投稿: よろ川長TOM | 2008年4月 6日 (日) 13:20

こんにちは。
名将とは艦長クラスなどではなく、もっと大きな軍団単位の指揮官のことだと思います。近代では将官クラスかと。
また、当時の魚雷は初期で90°後期で120°程度曲げることが可能でした。

投稿: トムゼン艦長 | 2009年3月26日 (木) 05:56

トムゼン艦長さん、いらっしゃいませ!
へえ!魚雷は曲げて射出できたんですか…それは勉強不足で存じませんでした。
射出管に角度がつけられた…ということでしょうか。でも90度ということは駆逐艦のように船体外部にも射出管がついてたものでしょうか…

当時のものに有線リモートコントロールなんて考えにくいし、射出後に曲げるとなるとタイマーみたいな機械仕掛けでフィンの角度を変えたとか?
上記の映画ではそうした描写はなかったように思いますので、これらに登場した艦ではできない種類という設定(または作り手が私のように無知だった)だったのかも?
うーん、これは調べる必要がありますねえ。またお教え頂けたら光栄です。

それと、名将と呼ぶには率いる人数が少なすぎる、ということですね。でも野球の監督ごときでもそう呼ばれる方もおられますし、“言葉のアヤ”または“名匠”の誤変換だと思っておいていただければありがたいです。

投稿: よろ川長TOM | 2009年3月26日 (木) 09:41

こんにちは。
映画で船団を雷撃するシーンですが、ブリッジにいる先任士官が双眼鏡で狙いを定め、魚雷射出の命令を出しています。その双眼鏡は同シーンでチラリと映るTDC(魚雷制御盤-ダイヤルがゴチャゴチャと並んだパネル)と連動しています。
TDCには予め目標の速度、角度、距離、自艦の速度、雷速などを入力しておきます。セットが完了するとそれらデータは魚雷に送られます。そして、目標と自艦が速度や方向を変えない限り、双眼鏡(潜水している場合は潜望鏡)の十字に合わせた目標の未来位置に魚雷が航行し命中するという仕組みです。
つまり、映画制作者はUボートの雷撃方法は理解しています。それどころか、Uボート内部の再現などはもうオタクの域で完璧です。

また、魚雷はジャイロ(地球ゴマと同じ原理)により航行角度が調整できるようになっています。これにより、進行方向をコントロールすることが可能でした。魚雷を射出する管は映画に出てくるタイプですと艦首と艦尾の計6本が艦内から艦外へと貫いて設置されています。

ちなみに、第二次大戦での潜水艦モノでよくある誤解に、潜行した潜水艦同士の魚雷攻撃があります。当時の潜水艦は水圧の問題で潜航して魚雷が射出できる深度は20メートル程度ですし、第一に潜っている目標を確認する手段が全くありませんでした。従って完全な誤りかそれを承知のフィクションです。もちろん現代の潜水艦は可能です。

なお、残念というか逆に凄いというか日本の潜水艦にはTDCに相当するモノはなく、魚雷の諸元は水雷長が計算尺などを使い手計算していました。猛者になるとそれらを暗算していたとかしないとか。
長文失礼いたしました。

投稿: トムゼン艦長 | 2009年3月28日 (土) 10:07

トムゼン艦長さん、わざわざありがとうございます!
そんなすごい装置だったとは想像もつきませんでした。残念ながらビデオを持っていないので見直すことができないのですが、次回はそちらをもっと眼を皿にして楽しみたいと思います。

『眼下の敵』がそこまで再現していたか、考証的にどれだけ正確かも私には判りませんが、潜水艦ものの映画としては元祖に近いでしょうし、なかなかの傑作なのでもしご覧になっておられず、機会があればそちらの方に関してもまたご意見くだされば幸いです。

よろ川長TOM 拝

投稿: よろ川長TOM | 2009年4月 2日 (木) 11:58

こんにちは。
『眼下の敵』は潜水艦モノの傑作の一つとして異論はありません。
しかし、考証的には疑問が多い映画であることも事実です。
艦長が老齢過ぎるのはまだ許せるとしても、
・ 潜水艦内や艦長室が広すぎる。司令室はあの半分くらい、艦長室に至っては4分の1くらい。(というよりベッドと小さな造り付けサイドテーブルのみで仕切りもカーテンだけ)艦内の設備もかなりいい加減。(多分アメリカのガトー級あたりの潜水艦を参考にしている)
・ 潜水艦が駆逐艦相手に渡り合っている。(当時の常識では、発見されている駆逐艦に一発逆転をかけての雷撃は自殺行為)
などが挙げられますし駆逐艦側もアラを探せばあれこれ言うことは可能です。
ただ、繰り返しとなりますが、それらを補って余りある、海の男の物語として素晴らしい作品であることは間違いありません。

あと、先の投稿の中で、魚雷射出管は6本と書きましたが5本の誤りでした。

投稿: トムゼン艦長 | 2009年4月 3日 (金) 17:36

トムゼン艦長さん、お返しが遅れてすみません。
私もレシプロの航空機に関してはかなりウルサイので、たいていの戦争映画の描写は不満だらけですから仰る気持ちはよく分かります。

陸海空、いずれにせよ半世紀以上前に失われたものを画面に登場させて正確に描き運用するのは神業ですよね。
だからこそちゃんとできた作品には知っている者がきちんと高い評価をせねばならないなと思いました。

何度もご教授ありがとうございました。

投稿: よろ川長TOM | 2009年4月 9日 (木) 10:40

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